10年の恋を捨てて、私は晴れ空へ歩き出す

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10年の恋を捨てて、私は晴れ空へ歩き出す

GoodNovel 完結

退職を前に、上司から尋ねられた。 「神谷本部長は、部長に昇進したら結婚すると約束してくれたんでしょう?あと一歩なのに、どうして急に辞めるの?」 私は、雨水に濡れたスラックスの裾に目を落とした。 「傘が一本しかなかったからです」 脳裏によみがえったのは、土砂降りだった昨日のことだ。 傘を忘れた私・宮下栞(みやした しおり)は、会社のエントランスから出られずにいた。同じように足止めされていたのが、神谷啓介(かみや けいすけ)の新しいアシスタント、篠原朱里(しのはら あかり)だった。 傘を一本だけ持って下りてきた啓介は、迷うことなく朱里を選んだ。彼女とは、交際を疑われる心配がないからだ。 啓介は私を見ると、淡々と言った。 「栞、俺たちは特別な関係なんだ。こんなことで余計な噂を立てられる必要はないだろう」 一つの傘に入って遠ざかっていく二人の背中を、私は長いあいだ呆然と見つめていた。 やがて意を決し、降りしきる雨の中へ飛び出した。 啓介と付き合って10年。彼からいちばん多く聞かされたのは、「特別な関係だからこそ、公私を分けるべきだ」という言葉だった。 だから、通勤はいつも一人。昇進の機会は、いつもほかの誰かに譲らされた。 今では、同じ傘に入ることさえ望んではいけないらしい。 退職届の控えを受け取ったあとも、外では小雨が降り続いていた。 けれど今度は、自分の傘を差し、落ち着いた足取りで歩き出した。 啓介。もう私は、決してこちらへ傾くことのないその傘を必要としていない。

チャプター (1)

第1章

退職を前に、上司から尋ねられた。 「神谷本部長は、部長に昇進したら結婚すると約束してくれたんでしょう?あと一歩なのに、どうして急に辞めるの?」 私は、雨水に濡れたスラックスの裾に目を落とした。 「傘が一本しかなかったからです」 脳裏によみがえったのは、土砂降りだった昨日のことだ。 傘を忘れた私・宮下栞(みやした しおり)は、会社のエントランスから出られずにいた。同じように足止めされていたのが、神谷啓介(かみや けいすけ)の新しいアシスタント、篠原朱里(しのはら あかり)だった。 傘を一本だけ持って下りてきた啓介は、迷うことなく朱里を選んだ。彼女とは、交際を疑われる心配がないからだ。 啓介は私を見ると、淡々と言った。 「栞、俺たちは特別な関係なんだ。こんなことで余計な噂を立てられる必要はないだろう」 一つの傘に入って遠ざかっていく二人の背中を、私は長いあいだ呆然と見つめていた。 やがて意を決し、降りしきる雨の中へ飛び出した。 啓介と付き合って10年。彼からいちばん多く聞かされたのは、「特別な関係だからこそ、公私を分けるべきだ」という言葉だった。 だから、通勤はいつも一人。昇進の機会は、いつもほかの誰かに譲らされた。 今では、同じ傘に入ることさえ望んではいけないらしい。 退職届の控えを受け取ったあとも、外では小雨が降り続いていた。 けれど今度は、自分の傘を差し、落ち着いた足取りで歩き出した。 啓介。もう私は、決してこちらへ傾くことのないその傘を必要としていない。 第1話 会社を出る頃には、雨脚も次第に弱まっていた。 傘を畳んだ瞬間、向かいのカフェで啓介と朱里が食事をしているのが目に入った。 普段はほとんど笑わない啓介が、今は目元を和らげ、くつろいだ様子で笑っている。 一瞬、目の前の光景が信じられなかった。 私の前で、あんなふうに心から笑う彼を見なくなって久しい。 我に返ったときには、啓介がもう目の前まで来ていた。口調はいつもどおり、事務的だった。 「篠原と外回りに出ていて、雨で動けなくなったから、ここで食事をしていただけだ。さっきはひどい雨だったのに、どうして会社の外にいたんだ?もうすぐ部長への昇進が決まる大事な時期だ。風邪をひいて、仕事に支障を出すなよ」 そこへ朱里が追いついてきた。 彼女に気づいた啓介は、反射的に横に一歩ずれ、私との距離を広げた。 「俺たちは先に行く」 私の返事を待たず、啓介は朱里を連れて立ち去った。 また人目を気にしているのだと、すぐに分かった。 恋人同士だから、社内では必要以上に話してはいけない。一緒に仕事をしても、一緒に通勤してもいけない。 この10年、私が見てきたのは、こうして足早に遠ざかっていく彼の背中ばかりだった。 けれど、もう私はその場に立ち尽くし、遠くから見送ったりはしない。 帰宅すると、バッグから退職届の控えを取り出し、リビングのいちばん目につく場所に置いた。 啓介が帰ってきたら、一度きちんと話すつもりだった。 啓介は仕事帰りに食材を買い、そのまま帰宅した。家に入るなり、慣れた手つきでエプロンを締め、キッチンに立った。 料理を食卓に並べ終えて、ようやく傍らに立つ私に気づいた。 「帰ってたのか。食べよう」 部屋には、食器がかすかに触れ合う音だけが響いた。 いつからだろう。私たちは、話すことさえなくなっていた。 職場で始まった線引きは、いつしか家の中にまで入り込んでいた。 最初は、誰もが認めるほど仲がよく、息の合った恋人同士だったのに。 今では向かい合って座っても、どちらからも話題の一つすら出てこない。 最後にまともな会話をしたのは、朱里と副部長の座を争ったときだった。 選考の結果、朱里は落選し、私が副部長に昇進した。 ところが結果が発表されたその場で、啓介は役職者たちを前に、朱里をかばった。 今回の選考は公平性に欠けると言い、朱里がどれほど優秀で努力家か、副部長にふさわしい人材かを熱弁した。 恋人が競争相手を懸命に褒めるのを聞く痛みは、昇進の喜びをはるかに上回った。 その夜、私は胸にたまった思いを抑えながら、啓介に打ち明けた。 けれど、彼は表情一つ変えずに答えただけだった。 「俺は事実を言っただけだ。篠原は実際に優秀で、昇進に値する。それに、俺たちは特別な関係だ。だからこそ、公私を分けなければ余計な噂を招く」 私だって、朱里の実力を否定したことはない。 けれど、私の努力も能力も、決して偽物ではなかった。 第2話 どこまでも事務的で、自分は一切えこひいきなどしていないという顔を見つめながら、私は初めて、反論する気力さえ失った。 思えば、あの日を境に会話が減り、二人の溝は深まっていった。 その後、朱里は異動し、啓介の専属アシスタントになった。 肩書だけを見れば横滑りだが、実際には彼のそばで重要な仕事に関われる、事実上の抜擢だった。 徹底して公私を分けた結果、啓介は公平無私な上司という評判を得て、朱里には周囲の同情と好意が集まった。 実力で副部長になった私だけが、理不尽な思いを抱えたまま、誰にも顧みられなかった。 思い返すと、今でも胸がかすかに痛む。 あの頃、何も言えずに耐えていた自分のために。そして、むだにしてしまったこの10年のために。 食事を終えると、啓介は席を立とうとした。 一人が料理をしたら、もう一人が後片づけをする。それが同居を始めたときに決めたルールだった。 込み上げる感情を押し込み、私は彼を呼び止めた。 「啓介、話があるの」 啓介は座り直し、私を見た。 私は深く息を吸い、気持ちを落ち着かせた。 「啓介、私たち、別れ――」 そのとき、突然鳴り出した着信音が言葉を遮った。 画面に表示されていたのは、朱里の名前だった。 電話に出ると、受話口から慌てた声が聞こえてきた。仕事でミスが見つかり、至急戻って対応してほしいという。 啓介は眉をひそめ、すぐに私を見た。 「栞、話は今度にしてくれ。今は仕事が先だ」 そう言い残すと、立ち上がって出ていった。 またしても、残されたのは彼の背中だけだった。 胸の奥に細かな痛みが一斉に走り、息が詰まった。 けれど、彼が向かったのは仕事だ。会社のことが私事より優先されるのは当然だと言われれば、つらいと口にする資格さえ私にはないように思えた。 部屋が再び静まり返ったとき、スマホに通知が届いた。 海外の大学院から出願結果が届いたのだ。合格だった。3日後には、長年憧れていた留学へ旅立てる。 啓介と結婚することが、若い頃から抱いてきた一番の願いだったとすれば、大学院へ進むことは、ずっと胸の奥にしまい込んできたもう一つの夢だった。 私と啓介は、同じ地方の小さな町で育った。その年、町から難関大学へ進んだのは私たち二人だけだった。 余裕のない学生時代を支え合いながら乗り越え、いつか一緒に大学院へ進み、この街で暮らしていこうと約束した。 だが、学び続けるにはお金が要る。当時の家計では、二人のうち一人を大学院へ通わせるのが精いっぱいだった。 私は進学を諦め、先に就職する道を選んだ。そして働いて得た収入で、啓介が大学院を修了するまで支え続けた。 あのとき、彼は私の手を握り、まっすぐな目で言った。 「栞、卒業して仕事が軌道に乗ったら、結婚しよう。一生かけて大切にする。埋め合わせもする。栞が譲ってくれたことも、支えてくれたことも、絶対に裏切らない」 大学院を出た啓介は、私と同じ会社へ入った。 初めのうちは何も変わらず、私たちは仲のいい恋人同士だった。 だが、啓介が昇進を重ね、私の上司になるにつれ、少しずつ歯車が狂い始めた。 彼は、必要以上に公私の区別にこだわるようになった。 最初は、人前で親しげに振る舞わず、社内で一緒にいるところを見せないだけだった。 やがて、わざと距離を置き、必要な会話すら交わさなくなった。人目がない場所で会っても、どこか他人行儀だった。 そして今では、10年かけて築いた関係よりも、職場での評判や自分が決めた一線のほうが重くなっていた。 考えがまとまらないまま画面を見つめていると、啓介からメッセージが届いた。 【昔、二人でよく行った商店街のラーメン屋、覚えてるか?】 知らない土地へ出てきたばかりの頃、何度も通った小さな店だった。 当時は財布に余裕がなく、二人で一杯しか頼めないこともあった。啓介はいつも自分の分を惜しみ、麺も具も半分以上、黙って私の器に移してくれた。 その後、仕事に追われるうちに店は移転し、いつしか行方が分からなくなっていた。 あの頃を思い出すと、不意に心がほどけた。 今はどれほど遠い存在になっていても、かつて私たちがひたむきに愛し合っていたことまで、嘘になるわけではない。 私は一文字ずつ打ち込んだ。 【覚えてる。どうしたの?】 すぐに返信が来た。 【篠原もああいうラーメンが好きで、ずっと食べたがってる。でも、店がどこへ移ったのか分からないそうだ。栞なら知らないか?】 第3話 指先が止まり、胸の奥が急速に冷えていった。 いつまでたっても返事が来ないことで、啓介もようやく異変に気づいたらしい。 【もういい。夜中に店を捜しに行くのも大変だし、先に帰る】 私は目元の涙を拭い、波立つ気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと返信した。 【分かった。帰ってくるのを待ってる。さっきの話の続きをしよう】 30分後、玄関の鍵が回り、啓介が帰ってきた。 だが、その後ろには朱里が立っていた。 靴を脱ぎながら、啓介は何でもないことのように説明した。 「こんな時間では開いている店も少ないし、篠原は仕事で夕食も取れていない。うちでラーメンを作って、少し食べてもらうことにした」 そんな説明で、納得できるはずがない。 けれど啓介は、それ以上説明する必要などないとでもいうように、そのままキッチンへ入っていった。 リビングには、朱里と私だけが残された。 先に沈黙を破ったのは朱里だった。 「神谷本部長って、仕事ではあんなに厳しいのに、プライベートでは本当に気が利くんですね。料理までなさるなんて意外でした」 相手をする気になれず、私は軽くうなずいただけだった。 それでも朱里は話し続けた。 「本部長には、いつも助けていただいているんです。この前、私がプロジェクトの数字を間違えたときも、皆が責任を問おうとする中で、本部長だけはご自分が責任を引き受けてくださって。修正作業も、最後までそばで見てくださいました。出張のときに飛行機に間に合わなくなりそうだったときも、わざわざ仕事を調整して、別の便を手配してくださったんですよ」 どちらも耳にしたことはあった。だが、本人の口から聞かされると、一言一言が胸に刺さった。 それでも顔には出さず、黙って聞いていた。 私があまりに平静なので、朱里の目に戸惑いがよぎった。 このまま終わらせるつもりはないらしい。次に口を開いたときには、あからさまな挑発がにじんでいた。 「この前、急ぎの案件で残業したときは、フロアに本部長と私しかいなかったんです。夜になって急に冷え込んだら、本部長が風邪をひかないようにって、ご自分のブランケットを掛けてくださって。本部長はそのまま一晩中、何も掛けずに仕事をなさったんです」 胸が重く沈んだ。 「あのとき思いました。もし神谷本部長が私の恋人だったら、迷わずその場で結婚してほしいって言うのに、って」 言い終えたところへ、啓介が二杯のラーメンを運んできた。朱里の言葉は、彼の耳にもしっかり届いていた。 足を止めた啓介の表情が険しくなる。 「篠原、それ以上はやめてくれ」 声には、はっきりとした不快感があった。 自分でも、朱里の発言が一線を越えていると分かったのだろう。 啓介は私を見て何か説明しようとした。 けれど私は先に視線を外し、静かに話を切った。 「冷める前に食べよう」 啓介は何の感情も浮かばない私の横顔を見つめたまま、言いかけた言葉をのみ込んだ。 そして、感情を抑えた声で言った。 「夕食をほとんど食べてないだろう。栞の分も作った。温かいうちに食べてくれ」 食卓に並んだ二つの器には、どちらにも同じように半熟卵が一つずつ載っていた。 食事のあいだ、啓介と朱里は自然に仕事の話を始めた。 複雑な社内事情、案件の進捗、今後の計画。啓介が私に話したことのない内容ばかりだった。 そして朱里が生き生きと話すたび、彼はその能力を心から評価していることを、隠そうともせず目に浮かべていた。 私は傍らに座り、箸で卵を何度も裏返していた。 一口も食べられなかった。 二人の仕事の話が終わり、リビングがすっかり静かになってから、啓介はようやく私に向き直った。 「あの日は、オフィスの暖房が故障していた。それに篠原はちょうど生理で、体調も悪かった。上司として、少し気を配るのは当然だ」 そこで一度言葉を切り、付け加えた。 「誤解するなよ」 「誤解なんてしてない」 啓介はまた眉を寄せた。私の返事が気に入らないらしい。 しばらく考えた末、彼は言った。 「もう遅いから、篠原を送ってくる。こんな時間に女性を一人で帰らせるのは危ない。話は戻ってから聞く」 危ない? 私だって、深夜まで残業した日は何度も、迎えに来てほしいと頼んだことがある。 けれど啓介は、そのたびに公私を分けるためだと言い、私をいつも一人で帰らせた。 私は静かにうなずいた。 「分かった」 第4話 その夜、啓介を待つことはしなかった。彼が何時に帰ってきたのかも知らない。 翌朝、目を覚ましたときには、部屋にもう彼の姿はなかった。 食卓には啓介が用意した朝食が並び、そのそばにメモが置かれていた。 【付き合って10周年、おめでとう】 今日が、交際を始めてちょうど10年の記念日だったことを、そこでようやく思い出した。 けれど、スマホに表示された予約済みの航空券を見つめ、私はメモをそっと脇へ置いた。 今日で、私たちの関係も終わる。 席について朝食を食べようとしながら、何気なくSNSを開いた。最初に目に飛び込んできたのは、朱里が投稿したばかりの写真だった。 そこに写っていた朝食は、私の目の前にあるものとまったく同じだった。 【神谷本部長から、手作りの朝食までいただきました!これからもっと仕事を頑張ります!】 口に入れたばかりのサンドイッチが、喉につかえた。 のみ込むことも吐き出すこともできず、息苦しい。 食欲はすっかり失せた。 そのとき、前の上司の佐伯真理子(さえき まりこ)からメッセージが届いた。 【宮下、退職したのはかえってよかったかもしれない。部長職は公募をやめて、篠原が就くことになったわ】 意味が分からなかった。 朱里は啓介の専属アシスタントになったはずなのに、なぜ突然、元の部署に戻って部長になるのだろう。 上司から話を聞き、初めて事情が分かった。 啓介が自分の中核案件をすべて朱里に任せ、昇進できるよう自ら道筋を整えたのだという。 本来なら候補者全員で選考を受けるはずだった部長職が、誰にも知らされないまま朱里に決まっていた。 指先が震えた。 もう会社を辞めたとはいえ、在職中、私はその役職を目指し、それらの案件に心血を注いできた。 あと一歩で昇進というたびに、啓介から「特別な関係だから」と退けられた。 それなのに今、彼は同じ役職をいとも簡単に別の女に与えたのだ。 込み上げる悲しみと怒りを抑えようとしたが、どうしてもできなかった。私は啓介にメッセージを送った。 【どうして篠原さんを部長にしたの?】 返事は短かった。 【彼女のほうが学歴も高く、能力もあるからだ】 画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。 かつて彼の将来のために諦めたものが、今になって私の価値を否定する理由となった。 その瞬間、痛み続けていた心から、すべての感覚が消えた。 私は荷物をまとめ、そのまま空港へ向かった。 …… 一方、いくら待っても栞から返事が来ず、啓介はなぜか落ち着かなかった。 それでも、自分が間違っているとは思っていなかった。 自分は誰に対しても公平に接している。条件に恵まれ、努力もしている者が昇進するのは当然だ。それが彼の考えだった。 だが、その日は午後になっても仕事が手につかず、何度もスマホを確認しては、栞からの連絡を待った。 ようやく終業時刻を迎えた頃、窓の外では突然、激しい雨が降り始めた。 朱里がドアをノックして入ってきた。どこか甘えるような口調だった。 「神谷本部長、雨がひどいのに傘を忘れてしまって、車もつかまらないんです。よろしければ、途中まで送っていただけませんか?」 そこで啓介は初めて、窓の外の土砂降りに気づいた。 だが頭に浮かんだのは、目の前にいる朱里ではなかった。 傘もなく、車もつかまらないほどの雨の中、栞はどうやって一人で帰るのだろう。 啓介は急に立ち上がり、上着をつかんだ。 「篠原はもう部長だ。俺の専属アシスタントではない。今後は、これまで以上に公私の区別をはっきりさせろ」 朱里はその場で固まり、笑顔をこわばらせた。何か言おうとしたが、啓介はすでに大股で栞の執務室へ向かっていた。 しかし、ドアを開けた先には誰もいなかった。 啓介がスマホを取り出したところへ、以前、栞の上司だった真理子がやってきた。 彼の様子を見て、皮肉を含んだ笑みを浮かべた。 「神谷本部長、宮下をお捜しですか?彼女なら昨日付で退職して、もう国外へ発ちましたよ」

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